SUPER FOLK SONG

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矢野顕子の弾き語りの名盤「SUPER FOLK SONG」のドキュメンタリー映画
「SUPER FOLK SONG~ピアノが愛した女。~」が
デジタルリマスター版で復活というので、早速観に行ってきました。

今ではふわふわ可愛いアッコちゃんという感じですが、
このころのアッコちゃんは不機嫌。
スタジオの中まで入ってきているカメラのモーター音が
レコーディングに入っているんじゃないかと神経をとがらせていたり
「絶対弾ける」確信があるのに指が動かなくてイライラしたり
(それもそのはず音に配慮して極寒の季節にエアコンなし)
歌詞カード(演奏はアドリブなので譜面ではない)がうどんにしか見えなかったり。
OKテイクだって、本当に会心の出来だったかどうかわからない。

はなから終いまで、矢野顕子の不機嫌な理由がわかる。
私も同じようなことでイライラしたり不機嫌になるから。

できるはずの(と思っている)ことができなかったり、
頭の中でなっている音楽や風景を再現できなかったり
他人には何でもないようなこと(特に音)が邪魔で仕方なかったり。

この映画をただ観た人の中には、
もしかしたら矢野顕子を
わがままでヒステリックなイヤな女ととらえてしまう人も
いるかもしれない。

でもそれは違う。

彼女は音楽を愛し、ピアノを愛し
ピアノに愛され、音楽に愛され
素晴らしい音楽を奏でる人。

映画の中で印象的だったシーンはいくつかあれど
とても心に残った彼女の言葉
「私は(もっといい演奏が)できるって知ってるの。私は基本的に自分に自信を持っているから」
(うろ覚えの意訳です)

アメリカのマネージャーから
「アキコ、君は素晴らしい演奏をしている。ミスに気を取られて素晴らしい演奏をしたことに気づいていないんだ。とてもいい演奏ばかりじゃないか。君は演奏家なのだから批評家になってはいけないよ。」

というようなことを言われて返す言葉です。

「批評家になってはいけない。」

父がよく言っていたことと同じこと。
風景とともに思い出した。

基本的に私はもっとできると信じている。
だから辛い。だから諦めない。

ああ、そうか。と思う。

私はまだ、批評家の自分を抱えていなければ成長できないと思っている。
もっとできると思っているからだ。
何度もできないことが重なると
みじめでみじめで泣きそうになる。
なんでもないことに当たり散らしたくなる。
楽器も音楽も放りだして逃げたくなる。
でも、やっぱり逃げずに繰り返す。

それって自分で自分を信頼しているからなんだ。
それってとっても嬉しいことだ。

このアルバムを作っていた頃の彼女と今の私は年のころが同じ。

住んでいるところも見ている景色も違うけれど、
今の彼女のように20年後、このころの私はこうするしかなかったのよね~と
笑って言えるようになるだろうか。

夢のまんなかを歩いていよう
途切れることなく
心がひとりでいる時も

「それだけでうれしい」矢野顕子作詞より

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