今回曲集を出版するにあたり、父の昔の原譜を見返していました。
そこにはたくさんの発見があり、
まるで父と対話をしているようでした。
ああ、こんな勉強をしていたのね、
そんなこと考えていたのね、
この頃はここに凝っていたのね、
この時代になるとなかなか洗練されて来て面白いな etc…
父が亡くなってから複音ハーモニカを始めて、
「寺澤博義の娘」としては誰を頼るわけにもいかず父の本で独学をし、
8ヶ月足らずで世界大会に出て運良く優勝”しちゃった”13年前。
右も左も判らずひたすら基準にしていたのは「お父さんならどうするか」でした。
それから13年、今までいろいろな経験をさせて頂いてから、
今回、父の軌跡をトレースしてまた改めて様々なことが判りました。
最大の発見は、
私がいままで当たり前と思っていたことは全然当たり前じゃなかった、ということ。
私は、父が出来ることは、ステージに立つ人、
「プロ」や「先生」と呼ばれる人なら誰でも出来るのだと思っていたのです。
寺澤博義というハーモニカ人、今にして思えば自分にも他人にも厳しかった父は
「プロ」それも「一流」のハーモニカ人であることにとてもこだわっていたし、
自らの追い求める姿、自分が良いと信じたもの、そして至高の瞬間のために
没頭し情熱を傾け続けていたのでしょう。
演奏をする以上、どんな状態であっても自分はプロである、
プロであることはどういうことか、常に話していましたし
最後のリサイタルでは彼のプロ根性をこれでもかと言うほど見せつけられました。
それが日常の風景だったので、私は音楽に限らず
「プロ」であるすべての人がそうだと思ってしまっていたけれど、
私が見て来たものは「寺澤博義」というハーモニカ人が
ハーモニカと音楽に真摯に向き合い感性を磨き、
常に先を見据え鍛錬を重ねている瞬間で、
すべての人がそうではないのですね。。。
そうではない人から見たら私は理想が高すぎるとか厳しすぎるとか
身の程知らずとか言われてしまうのかもしれませんけれど
そんな環境にいたから、私は今なんとかやっていけているのだと思います。
この数年、いろいろなことがあったけれど、今、一つだけ言えるのは
「私は自分の感性に自信を持っていい」ということです。
私の感性はそれを上回る感性を持つ両親が育ててくれた物だから、
その感性を信じていけば必ずいいようになるんじゃないかしらと。
だって父も母も幸せだもの。
実を言えばもっと早くハーモニカを始めなかったことを
10年以上、後悔し続けています。
父と私の感性が合わさったなら無敵だと思うから。
いろんなことをもっと教えてもらいたかったし、
今の私のレベルで一緒に舞台に立ちたかった。
この思いは一生消えないでしょう。
私は父の背中を追い続けるし、父と一緒にやりたかったことを積み上げ続ける。
だれも父の代わりにはならない。
父は
「何事も10年腰を据えてやらなければ道は見えてこない」
と常々言っていました。
この道に入って12年、先はなかなか見えてきませんが
私は「私であること」を引き受けることにしました。
それが今回「父との対話」をしてみて得た物です。
もっと高いところに行けるように。
もっとハーモニカを好きでいられるように。
いろいろとシフトしていこうと思います。